さて前回のミッドライフクラシス①きっかけの続きです。
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②の今回は全力で楽しむこととは?と私なりに考えたミッドライフクライシスの引き金と正体について話していきます。
私は子供たちを保育園に迎えに行った帰り道にほぼ毎日のように公園で遊ばせています。
仕事で疲れているのと早く家に帰って家事を進めたい。
今まではそんな気持ちを持ち合わせていたので時間の犠牲にまんまと陥っていました。
「子育ての時間」と「自分の時間」を別けて考えてしまうから、自分を犠牲にしすぎていると被害者意識となってしまう。
だから「子育ての時間も自分の時間として考える」この発想が非常に重要で大切でした。
それに子育ての時間はまぎれもなく自分の時間であることに違いありません。
自分の時間と考えれば子育ての時間も全力で楽しむことができる。
一瞬一瞬を大切にできるから、自分の犠牲から解放されます。
私はスーツ姿で革靴を履きながら子供たちを公園で追いかけまわして楽しんでいます。
今まではスマホをいじったり、ただ見ていたりだったのですが、今や子供の友達まで追いかけまわしています。
とは言いつつも毎回はできてはいませんし、私は気持ちの浮き沈みをコントロールできない人間です。
でも意識をすることによって週に1日でも楽しむことが増えたならこの犠牲が週1日減るということです。
休みの日も公園で子供たちを遊ばせてる間スマホをいじりながら仕事のことを考えながら…ではなく、子供たちと全力でその時間を楽しむ。
私の全力で楽しむという沸点はとても高いので本当に全力です。
童心に戻って暗くなるのを忘れて…の全力です。
この積み重ねが人生の時間の価値を再認識し、現代の子育て世代の犠牲から脱出し、今後過ごしていく人生に楽しさと充実さを与えてくれるような気がしています。
仕事、家事育児に翻弄されていると楽しむことを忘れ、「大変」の一言で片付けてしまっています。この大変もかけがえのない自分の時間なのに。
中年ともなると自分の存在価値に疑問を持ち始めて不安・焦燥感・喪失感・虚無感を感じやすい。
これがミッドライフクライシスの引き金になるケースが多いです。
まだ10代、20代は待っていても楽しいことって人から与えられるチャンスがあります。
しかし30代後半ともなれば自分で掴みにいかないと楽しいことって起きない(発生しない)と思うんです。
これは中年で経験する特有の変化で、中年になって気付けるというか…そんな切ないタイミングだと思うんです。
だから注意が必要です。
なんとなく人から飲み会の声がかからなくなったり、会社でも注目の若手が台頭してくるなど。
自分の存在が昔に比べて薄くなっているように感じることもあると思います。
「どこか自分は必要とされていないんじゃないか?」
「自分の存在価値って一体なんなんだろう?」
「このままでいいのだろうか?」
その不安や焦燥感がミッドライフクライシスの引き金にもなると考えています。
その他に人生を振り返った時に感じる喪失感や虚無感も引き金となります。
「あの時挑戦しなかったから望む未来を手に入れられなかった」
「子育てを優先してキャリアを築けなかった」
「仕事を頑張ってきたけど自分のキャリアに限界を感じてしまった」
など自分の人生を振り返るタイミングゆえにこのような喪失感で結局自分の人生ってなんだったのだろう?と感じることでミッドライフクライシスの引き金となります。
人それぞれ違った原因があり、男性と女性ではその傾向も違うと思います。
ただ中年は不安、焦燥感、喪失感、虚無感を感じやすい年代であり引き金になり得る可能性が高いということです。
この〇〇感、要注意ですね。
私が分析したミッドライフクライシスの多くの要因は「後悔」です。
みなさんも「あの時こうしておけばよかった」と考えることありますよね。
でも「あの時こうしておけばよかった」ってまぎれもなく「今」の積み重ねなんですよね。
呼吸してご飯を食べているなんでもない今この瞬間が「あの時こうしておけばよかった」に将来なってしまうんです。
つまり将来の後悔を減らすことは今を何事も全力で楽しむことだと分析をしました。
全力で楽しむのと何も考えずに過ごすのとでは大きな差ができます。
特に私にとっては家族と過ごす時間が何よりも幸せです。
だから将来絶対に後悔したくないから、家族と過ごす時間は特に意識して全力で楽しむことを心がけています。
今回は「全力で楽しむ意味」と「ミッドライフクライシスの原因と正体」について話しました。
次回で最終章では変化したことを話していきます。
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