この前投稿していたミッドライフクライシスについてのまとめたものを投稿していきます。
人の悩みは十人十色でその解決方法もそれぞれ違います。ただ私が経験したことが同じ悩みを抱える誰かの解決に役立つのではと思い書き残しておきます。
①ではきっかけとなった出来事と現状把握。そして変わるために決めたことを話していきます。
きっかけは30代半ばとなり、自分のこれまでの人生と今後の人生を考えた時に漠然と後悔と不安を抱えるようになりました。
30代半ばは人生の折り返し地点であり、過去未来を考えることが増える年齢だと思います。良くも悪くも色々なことがわかってくる年齢でもあります。
「もっと挑戦しておけばよかった」という過去の後悔。
「自分の人生はこのままでいいのか?」という将来の不安。
そして父親としての役割、会社員としての役割がある中で自分を犠牲にしすぎていないか?という現状の不満。
そして何より人生を楽しめているのだろうか?と疑問を持ちました。
なんとなく不安や後悔が日常に溢れてきて、これはより良い生き方や価値観を再構築するチャンスだと思い始めました。
まずは私の日常と日々ぼんやり感じていることをとりあえず紙に書き出してみました。
私はいわゆる一般的な社会人で家庭では30歳で結婚し、出産・子育てのイベントを経験しました。
子供も2人に恵まれて怒涛のような子育ての日々。
仕事では30代ともなると、より専門性や責任感の高い仕事が求められます。
昔はいくらでもあった自分の時間が今や怒涛の日々を乗りこなしていく中で自分の時間が少なくなっていました。
そして人生の折り返し地点に近づいた今、残りの人生の時間はそんなに長くないと焦燥感を抱いていることに気がつきました。
この怒涛の日々を乗りこなしていくことに精一杯で自分を犠牲にしているのではないか?
つまり、やることに追われて、自分の人生を生きていないことに焦燥感を抱いていることが大きな要因と分析ができました。
周りを見渡しても同年代の同僚や友人も同じ状況でした。
昭和・平成のお父さんは仕事を第一優先でいられた。
令和のお父さんは仕事に家事育児にフル稼働。
昭和・平成のお母さんは家庭を第一優先でいられた。
令和のお母さんは仕事に家事育児にフル稼働。
令和のお父さんお母さんは時間が足りず、自分を犠牲にしすぎているのでないか?と。
でもこの犠牲から解放されるには何かを切り捨てないといけません。家事を諦める?仕事を諦める?そんなことはできません。
ではどうしたらいいのか?
私はこの犠牲から解放されるには今後の人生を楽しむには何ができるのか?と考えました。
そしててでてきた答えは「何事も全力で楽しむ」でした。
時間は増えない、犠牲は減らない。
であるならばその一瞬一瞬を全力で楽しむことで増えることのない時間の質を最大限高めてやろうではないかと考えました。
この全力は子供の頃、日が暮れるのを忘れて友達と公園で遊んでいた時のあの「全力さ」です。
家事、育児、仕事と中々自分の時間を持てない中で時間を捻出するには限度があります。
1日の時間が増えないのであれば、その一瞬一瞬を全力で楽しむことで増えることない時間のせめて質を高めてやろうと一つの答えがでました。
もともと感情を表に出すのが苦手な私にとっては簡単なことではないです。
子供の頃のように夕方暗くなるのを忘れて公園で友達と遊んでいたあの全力さはもう持ち合わせていません。
気持ちも浮き沈みがあり、余裕がない時だってあります。
でも同じこと、同じ時間を過ごすのであれば「全力で楽しむこと」とそう決めました。
次回全力で楽しむこととは何なのか投稿したい思います!
コメント